第1回 免震との出会い
はじめに
今回から6回にわたり自らの研究について、お話させていただくことになりました。よろしくお願いいたします。
私がお話させていただく内容は「免震」です。
ブログのタイトルの通り、免震に関わってからちょうど20年が経ちました。
一つのことを専門に20年もやっていれば、皆様にお話しできるくらいのことは持ち合わせているはずと思い、執筆依頼をお受けしました。
このHPをご覧になる方であれば、免震のことは良くご存知と思います。
そこで、20年間の研究および実務の経験から、まだあまり知られていないこと、知っていて損はしないことなど、免震に関する一般的な知識の隙間を埋めるようなマニアックな話題を中心に皆様にお話させていただきたいと存じます。
初回は、自己紹介を兼ねて、免震に関わる思い出深い出来事について申し上げたいと思います。
ファーストコンタクト
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【写真1.1】
筆者が初めて担当した免震ビル
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【写真1.2】
積層ゴムベースプレートの取り付け状況(写真中央が筆者)
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免震との関わりは、1989年に【写真1.1】のような免震ビルの設計・施工管理を担当したことに始まります。
当時は、免震はまだ珍しい構造であったために、建設に関わる全ての人に、地震の時にこの建物が動くということを知ってもらうことが大変でした。
仮設計画では、地面から組み上げた外部足場の控を途中で建物本体から取ることができませんでした。
免震装置の取り付け精度は型枠や鉄骨の精度より1オーダー厳しく、現場では
「こんなことはやったことがない・・・」
などと、鳶や大工の職人さんに叱られながらの免震工事でした(【写真1.2】)。
当時、免震の設計・施工で感じたことを正直に申し上げますと、
「こんなに面倒な構法が果たして普及するのだろうか?」
という疑問でした。
免震という最先端の建築技術に接していたにも関わらず、何か釈然としない思いがありました。
しかし、免震の煩雑さを非とすることの誤りを6年後の1995年兵庫県南部地震で知ることになります。
カリフォルニア大学での研究
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【写真1.3】
共同研究のモデルとなった免震建物(右)(写真提供:清水建設)
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【写真1.4】
振動台に設置された免震試験体
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免震ビルが竣工して1年も経たないある日のこと、上司から
「カリフォルニア大学バークレー校と免震の共同研究を行うことになった。 担当者として現地に滞在し研究を遂行せよ。」
という指示を受けました。
共同研究の目的は、免震建物の振動台加振試験を実施して免震の安全性を実証することでした。
まだ、E-ディフェンスもない時代において、同校の振動台は世界有数の加振能力を有していました。
そこで、1991年から約1年間、免震の世界的権威でありますJames M. Kelly教授のご指導の下で共同研究を遂行することになりました。参考文献1.1)
模型といっても、【写真1.3】に示す実在RC造3階建て建物の1/2のスケールですから、結構な大きさと重さとなります。
【写真1.4】のような総重量約40tfのRC造免震試験体を約半年かけて製作しました。
試験に用いた免震装置は、高減衰積層ゴムと鉛プラグ入り積層ゴムでした。
25 & 50 cm/sの基準化レベルの加振では、ほぼ設計で期待するものと同程度の応答結果となり、免震の有効性を確認することができました。
最後の加振で用いたメキシコ地震SCT観測波は、今で言う長周期地震動であり、過大な応答を生じさせるための入力地震動でした。
この加振では、積層ゴムには400%近いせん断ひずみが生じましたが損傷が見られませんでした。
一方、建物には大きなひび割れが発生しました。
鉄筋のひずみデータを見ると、ほぼ全部の梁端部で主筋が降伏していました。
梁崩壊型に設計した架構が、ほぼ崩壊系を形成するほどの重大な損傷であったことがわかりました。
このような建物の著しい損傷は、免震構造が潜在的に有する弱点が露呈した結果だったのです。
当時は、このことに気がつかず、理論的な裏づけをもってこの弱点を完全に理解するまでには、この後10年もかかりました。
この点については、第4回にお話します。
2003年十勝沖地震における免震
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【写真1.5】
釧路市内にある日本で初めての免震病院
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【写真1.6】
釧路市北大通りの免震建物群
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2003年十勝沖地震(M8.0)は、1995年兵庫県南部地震を契機に全国に整備された強震ネットワークK-NETの地震観測網が、初めて海溝型巨大地震を広域で捉えたという意味で画期的な地震でした。
そして、このブログのテーマであります「免震」に対しても画期的な地震でした。
地震発生直後、筆者は釧路市内に拠点を置いて被害調査を行いました。
当時、釧路市内には9棟の免震建物が建っていました。
北海道には現行の建築基準法による地震地域係数Zが0.8, 0.9, 1.0となる3つのエリアが共存します。
札幌は0.9ですが、釧路は1.0です。
実は、免震建物の棟数は、札幌よりも釧路の方が多いのです。
この事実は、ほぼ10年に一度の被害地震に見舞われる釧路に住む人々の高い地震防災意識の現れと言えるでしょう。
免震を採用すべき建築の一つに病院がありますが、【写真1.5】が日本で初めて免震を適用した病院であり、釧路市内にあります。
この建物は北海道で初めての免震建物でもあります。
続いて、釧路駅を向こうにして北大通り(きたおおどおり)の写真を撮りました。 【写真1.6】の中に矢印で示した建物は免震です。
1枚の写真に3棟の免震が入ってしまうほど高密度に免震が存在する場所は、おそらくここしかないでしょう。
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【写真1.7】
30cm以上の変形を記録した免震建物
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【写真1.8】
けがき針が描いた軌跡(写真提供:須賀川勝氏)
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【写真1.7】の建物は、鉛プラグ入り積層ゴム4台で支持される住居兼事務所ビルです。
建物内には、建物と地盤の相対変形をアクリル板に針を押し当ててけがく装置が設置されていました。
これが、【写真1.8】のように、30cmを超える変形量を記録しました。
おそらく、その時点において実地震による免震の変形量としては世界一だったでしょう。
もちろん、建物は無被害であり、家具の転倒や収納物の落下も一切見られなかったとのことでした。
地震の後、この建物から1台の積層ゴムが取り出されて、地震後の健全性が調査されました。
調査の結果、積層ゴムは出荷時とほぼ同じ性能を有しており、積層ゴム内部には損傷は一切見られなかったと報告されています参考文献1.2)。
この建物を含め、釧路の免震建物群は免震効果を十分に発揮したことで、2003年十勝沖地震は画期的だったのです。
教育現場での免震
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【写真1.9】
教育で活用させて頂いている伊藤組110ビル
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【写真1.10】
免震ピット内での見学風景
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【写真1.11】
免震クリアランスに見入っている学生たち
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2002年に北海道大学に異動してからは、研究のみならず免震の教育にも努めてきました。
ゴムという柔らかい材料が建物を支えられるということは、学生たちにとっては驚きのようです。
自分にとっては当たり前となったことですが、授業で毎年繰り返される学生たちの反応はとても新鮮です。
学生たちには先ほど紹介した釧路の免震建物群を見せて上げたいところですが、札幌からの移動に5時間もかかる釧路にクラス全員を連れて行くことは困難です。
幸いなことにキャンパスからの徒歩圏内には、【写真1.9】の免震建物がありまして、2年生の授業では必ず学生たちをここに連れて行くようにしています。
学生には、初めに、積層ゴム側面に現れている段々模様の膨らみを見せて、建物の重量を実感させます(【写真1.10】)。
続いて、設備配管系や意匠上の収まりに施されている工夫を紹介します。
やはり直接的に目で見て理解できる可動ディテールの方が興味深いのでしょうか、建物が動いた場合の可動部の状態を頭の中でシミュレーションしているようです(【写真1.11】)。
おわりに
第1回目は、20年間の免震との関わりを足早に振り返ってみました。
免震との関わりを改めて文章としてまとめてみますと、いろいろとやって来たんだなぁという感慨を覚えます。
今は教育者として、一人でも多くの学生に免震のすばらしさを理解してもらいたいと願っています。
参考文献
- 1.1)
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I. D. Aiken, P. W. Clark, J. M. Kelly, M. Kikuchi, M. Saruta, K. Tamura, Design-
and ultimate-level earthquake tests of a 1/2.5-scale base-isolated reinforced-concrete
building, ATC 17-1, Proceedings of seminar on seismic isolation, passive energy
dissipation, and active control, vol. 1, 281-292, 1993.
- 1.2)
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鈴木芳隆・金子修平・ほか:2003年十勝沖地震における釧路市内の免震事務所ビルの地震挙動について(その1,2),日本建築学会大会学術講演梗概集B-2,pp.279-282,2004年