ホーム   2011年カンタベリー地震後のクライストチャーチ現状視察記/齊藤賢二    第1回:2011年カンタベリー地震の被害と復興状況の概要
  • 第1回:2011年カンタベリー地震の被害と復興状況の概要
  • 第2回:多くの建築物の崩壊と震災記録展示館「Quake City」
  • 第3回:クライストチャーチ復興計画とカンタベリー地震の教訓
齊藤 賢二

(さいとう けんじ
/ Kenji Saito)
株式会社NTTファシリティーズ総合研究所
建築構造技術本部 本部長

 

< 略 歴 >

1980  東北大学工学部 建築学科 卒業
1982  東北大学大学院 工学研究科 終了
1982  日本電信電話公社 建築局 入社
2007  株式会社NTTファシリティーズ 建築事業本部 構造エンジニアリング部 部長
2008  博士(工学) 東北大学
2012  株式会社NTTファシリティーズ総合研究所 建築構造技術本部 副本部長
構造設計システム部 部長(兼務)を経て現在にいたる

第1回:2011年カンタベリー地震の被害と復興状況の概要

はじめに

筆者は、2011年に発生したニュージーランドカンタベリー地震(以下、ニュージーランドをNZと略す)における建築物を中心とした被害状況の概要を既に本ブログで紹介させていただきました。その時のブログの内容は、NZ出身米国在住の友人やWeb上に掲載されている情報をもとに執筆したものでした。その後、筆者も出来るだけ早い時期に現地を訪れたいと思っていました。2016年8月、念願叶いクライストチャーチを訪問する機会を得ました。わずか2日間という短期滞在でしたが、筆者が直接現地で目にしたクライストチャーチの復興状況について関連する文献等の情報も交えながら報告させていただきたいと思います。カンタベリー地震発生の翌月に東日本大震災が発生し、カンタベリー地震についてはその被害の大きさやその後の復興状況については、多くの人にとって関心ごとでなくなっているかもしれません。しかし、カンタベリー地震は都市の直下で発生した大地震であり、その後の都市復興の現状や課題を紹介することは、近い将来発生が懸念されている首都直下地震等への備えの一助になればとの思いでブログの続編を執筆することにしました。

なお、クライストチャーチ市内にある歴史的建築物など主要な建物の地震前後の様子は、http://www.stuff.co.nz/national/christchurch-earthquake/4705106/Photos-Before-and-after-the-Christchurch-earthquakeというサイトに写真とともに詳しく紹介されているので興味のある方は参照していただきたい。

【写真1】地震発生直後のクライストチャーチ中心街

http://www.dailymail.co.uk/news/article-1359865/New-Zealand-earthquake-The-moment-Christchurch-shook-pieces.html

【写真2】地震前の美しいクライストチャーチ

https://learningisliving.wordpress.com/category/christchurch-rebuild

【写真3】地震後のクライストチャーチ

http://blogqpot.com/images/christchurch%20new%20zealand%20weather%20in%20july

2011年カンタベリー地震と近年日本で発生した大地震との比較

2011年カンタベリー地震と近年日本で発生した大地震との比較を表にまとめてみました。カンタベリー地震は、他の4つの地震と比較して規模(マグニチュード)が小さいにもかかわらず震源深さがとても浅いこともあり地盤の揺れが非常に大きく、甚大な被害が発生しました。また、地震規模のわりに人的被害が大きかったのは、組積造など耐震性の低い建物が多かったためです。一方、木造などの建物は少なく、阪神・淡路大震災のような火災による被害はほとんどありませんでした。総被害額は、日本で発生した地震と比較すると少ないですが、被害が大きかった東日本大震災の被害額の対GDP比が3%であるのに対し、カンタベリー地震では6倍以上の19%との試算もありNZ経済に及ぼす影響の重大さがうかがえます。

【表】2011年カンタベリー地震と近年日本の震災との比較

  カンタベリー
地震
阪神・淡路
大震災
新潟県中越
地震
東日本
大震災
平成28年
熊本地震(前震)
発生日 2011年
2月22日
1995年
1月15日
2004年
10月23日
2011年
3月11日
2016年4月14日(前震)
2016年4月16日(本震)
最大震度 7(推定) 7 7 7 7(前震)
7(本震)
規模
(マグニチュード)
M6.3 M7.3 M6.8 M9.0 M6.5
M7.3
深さ 5km 14km 13km 24km 11km(前震)
12km(本震)
発震機構 横ずれ断層型 横ずれ断層型 逆断層型 逆断層型 横ずれ断層型
(前震・本震)
死者 185人 6,434人 68人 19,418人 50人
不明 ‐ 3人 ‐ 2,592人 ‐
負傷者 数千人 43,792人 4,805人 6,220人 1,117人
家屋全壊 14,000棟 104,906棟 3,175棟 121,809棟 1,675棟
家屋半壊 40,000棟以上
(一部損壊含)
144,274棟 13,810棟 278,496棟 1,553棟
一部損壊   390,506棟 105,682棟 744,190棟 2,234棟
総被害額 約2.4兆円 約10兆円 約3兆円 約17兆円 2.4~4.6兆円

【出典】

http://nownow-news.com/kumamotojisin-kakohikaku/

https://ja.wikipedia.org/wiki/カンタベリー地震 (2011年)

カンタベリー地震の負傷者数、家屋全壊、家屋半壊、被害総額は朝日新聞(2017.3.13)より

クライストチャーチの現状

クライストチャーチは、ニュージーランド2番目の都市で南島最大の都市です。市内にはイギリス人が移住してきてからずっと残っている建物が多く、綺麗なイギリス風の街並みが残るニュージーランド屈指の観光地でした。なかでも街の中心にある大聖堂は、クライストチャーチを代表する観光名所でした【写真4、5】。

【写真4】市民の憩いの場であった大聖堂前の広場

【写真5】大聖堂

2011年東日本大震災の数週間前にクライストチャーチで発生した地震は、マグニチュード6.3を記録しました。地震で歴史的建造物や比較的新しい建築物も大きな被害を受けました。中でもクライストチャーチ中心部は、市のシンボルであったクライストチャーチ大聖堂を含む約70%の建物が取り壊しになると聞きました。現在、取り壊しは一部の建物を除きほぼ完了しているということです。今回、前回訪問から13年後に再訪することになり、旅行ガイドブックにも復興活動や南半球で最大級の遊び場「マーガレット・マーヒー・ファミリー・プレイグラウンド」【写真6】もオープン、さらにコンテナ60個で作られたRe:STARTという新しいショッピングモール【写真7】などの情報もあったので、復興して生まれ変わったクライストチャーチの様子を楽しみにしていました。

【写真6】マーガレット・マーヒー・ファミリー・プレイグラウンド

http://jdunz.com/newzealand/christchurch/margaretmahyfamilyplayground.html

【写真7】ショッピングモールRE:START

http://jdunz.com/newzealand/seikatu/restartoct2011.html

【写真8】宿泊先ホテル

【写真9】宿泊先ホテル周辺の工事現場

クライストチャーチには午後遅く到着しました。宿泊ホテルは、市内中心部でしたが市内を歩く人の姿はほとんど見かけることがありませんでした【写真8】。日本とは季節が逆で真冬でしたが、日本と比べればそれほど寒さも厳しいわけではありません。それでも市内は寂しい雰囲気でした。ときどき聞こえてくるのは、工事現場の重機の騒音ぐらいだったでしょうか【写真9】。東北の被災地には幾度となく足を運んで、訪れるたびに建物などの施設やインフラ復興の早さに驚いて、今や津波の被害があったのかもわかりにくい場所も多くあります。今の東北を基準にしていたため、今の日本までとは言わずとも5年も経てばと思っていたので大きな衝撃を受けました。

【写真10】宿泊先ホテル周辺

【写真11】かつての目抜き通りカシェル・ストリート

宿泊ホテルは、市内中心部にありましたが周辺はまったくの廃墟状態でした【写真10、11】。もちろん数件営業しているレストランもありましたが、まだ取り壊しになっていないビルも多くが廃墟ビルとなったままでした【写真12】。廃墟ビルの壁には、立入り禁止の貼紙があり、一般の人が中に立入ることを厳しく制限しています【写真13】。廃墟ビルの壁という壁にはグラフィティーが描かれていました【写真14、15】。後でわかったことですが、これらはアーティストを誘致して一緒に復興活動を行っていたという背景があったからのようです。過去の2度訪問により、私の記憶に焼き付けられたイギリス風の街並み、綺麗な公園や観光客で溢れ活気に満ちた雰囲気は跡形もなく街からなくなっていました。市街地に建っていた建物の多くは耐震性に乏しい煉瓦造であったため激しい地震の揺れに耐えることができず、大地震後も続いた余震に多くの人々は恐怖し耐え切れずにクライストチャーチを離れていったと現地の人から伺いました。

ヨーロッパ系ニュージーランド人の多くは、3世代までぐらいしかNZに根付いておらず、英国やフランスに親戚がいるという人も多いため、東日本大震災で被災した東北地域の人達のように生まれ育ったところで復興を成し遂げるという気概を持つ人は少ないのかもしれません。また、観光ビジネスで成り立っていた町が、大聖堂や綺麗な街並みを失い、クライストチャーチで生計を立てるのが難しくなったのも原因かもしれません。クライストチャーチ被災後、NZ南島の観光の拠点はマウントクックやミルフォードサウンドといったNZ屈指の観光地にも近いクイーンズタウンに移っているようです。実際、クイーンタウンに移り住んでタクシー運転手など新たな職に就いている人も多いと聞きました。中には、震災後から最近までお隣の国オーストラリアで生活していた人もいるようです。

多くの人が希望を喪失し諦めたら、東北地域も5年経ってもほとんど復興していないというような状況になっていたかもしれません。東京などの大都市と比べれば小規模かもしれませんが、大きく被災した地区が都市であったということも復興が進まない原因の一つかもしれません。都市中心部は、一度大きく被災すると全てを更地にして再建するというのは簡単には進まないということかもしれません。首都直下地震が起こった場合、同じようなことが起こる可能性が十分にあると思います。

【写真12】立入り禁止の建物

【写真13】立入り禁止の貼紙

【写真14】建物の壁画

【写真15】建物の壁画

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