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- 第1回:大地震を振り返る~震災当日、初動調査、地震動と被害の情報発信
- 第2回:観測された地震動と建物の耐震設計へのインパクト
- 第3回:衝撃的な「学び舎」の被害
- 第4回:特徴的な建物被害
- 第5回:求められる都市・建築の総合的地震対策
- 第6回:リアルタイム地震観測と地震防災対策
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源栄 正人
(もとさか まさと
/ Masato Motosaka)
東北大学教授
東北大学/災害科学国際研究所
(東北大学大学院工学研究科、都市・建築学専攻 兼担)
< 略 歴 >
1952年茨城県生まれ。工学博士。東北大学大学院工学研究科建築学専攻修了。鹿島建設株式会社での研究と実務、東北大学大学院工学研究科助教授、教授を経て、現在、東北大学災害科学国際研究所教授(地震工学・地震防災)。
< 著 書 >
緊急地震速報―揺れる前にできること
宮城県沖地震の再来に備えよ
大地震と都市災害 (都市・建築防災シリーズ)
第1回
大震災を振り返る~震災当日、初動調査、地震動と被害の情報発信
大震災を振り返ると、震災当日、翌日からの初動調査を思い出す1)。また、地震動と被害に関する情報発信2)、日本建築学会を中心とした災害調査報告書3), 4)のまとめに携わるとともに、地震防災の学識経験者として地元市町村の復旧・復興活動も行ってきている。特に、宮城県大崎市では震災復興懇話会や市民会議の座長として7年間の復旧・復興計画の作成に貢献した。振動被害の実態と教訓は日本建築学会の座談会5)、また、最近の防災技術としての早期地震警報システムの利活用関連では、「教室の窓」の座談会6)で報告し、学校への導入を進言した。また、東日本大震災における緊急地震速報の利活用の実態と早期地震警報の現状と課題に関する報告を行っている7)。これらの体験に基づき大震災の実態と教訓を先達の教えを交え国内外で講演する機会を得ている。
ここでは、震災当日、そして初動調査を振り返ってみる。
2011年3月11日14時46分に発生した巨大地震、仙台市青葉区青葉山キャンパス総合研究棟(13階建てSRC造の制震ビル)11階の研究室で大きな揺れに襲われた。大学院生と研究論文作成のためのゼミをしていた。緊急地震速報のアナウンスが13秒前に地震発生を知らせてくれた。学生は教授室の大きなテーブルの下に即座に避難、筆者は半身の状態で揺れの様子を見ようとしていた。段々大きくなる揺れ、本棚の転倒なしに揺れが収まったように感じた。しかし、また、大きな揺れが突然襲ってきた。止めてあった両側の本棚は南北方向の大きな揺れで転倒、本棚の本が‘book wave’として押し寄せ、テーブルの直ぐ下まで埋め尽くした。2008年の岩手宮城内陸地震の際仙台市内で自室で本に埋もれた犠牲者が出たことを思い出した。5分は続いたであろう揺れが収まった時、昼間なのに真っ暗。直径30cmほどの埋設本の穴から光がさしている。そこから本をかき分け、テーブルの上に上がったら、重い木製の本棚が内開きのドアを塞いでおり、脱出困難。本棚を2つ折りにしてもちあげ、埋設本を除去して脱出するまでに20分以上は要したように記憶している。必死で脱出。この状況で得た教訓、長い継続時間の揺れの繰り返し回数に対する固定治具の抜け出しなど画桟問題、スチールの本棚の状況から間仕切り材の面外振動の影響があることを感じ取った。11階から非常階段を下りて駐車場に避難した。家族に連絡しようとしたが駄目。東京の息子への携帯電話は通じ、息子を通じて家族の安否が確認できた。避難している間に、悲鳴が上がった。津波が襲来した映像を携帯で見たようだ。被害調査が頭をよぎったが、その日は、まず、モンゴルの留学生の2人の子供の安否確認のために国見小学校に向かった。普段、10分程度で着くところ、渋滞で1時間以上かかった。避難所になっていた体育館で子供たちを探したが見つからなかった。焦った。2人の子どもの所在を確認するために職員室に向かった。職員室に上がって間もなく、2人の子供がかけよってきて抱き合った姿をいまでも忘れられない。日本語がままならぬ子供たちを職員が守ってくれていた。小学校の避難所で避難者と会話し、大津波が仙台平野にも押し寄せた話をしたら「私の実家は荒浜よ。」と言って絶句し、泣き出した年配の女性がいたことを思い出す。それから、自宅に向かった。家中散乱していたが、安心した。真っ暗になった自宅に戻り、妻と娘に会った。忘れられない一日となった。
【写真1】震災直後の研究室の様子
翌日2日目から、構造系の教員スタッフとともに、初動調査に入った。仙台市内では、1978年宮城県沖地震の被災建物や被災エリアが頭をよぎった。亡き恩師・志賀先生からの天の声が聞こえた。1978年宮城県沖地震での杭基礎被害建物としてSマンションと長町の郡山市営住宅が脳裏をかすめた。建築の同僚から人間・環境系研究棟(旧建設系研究棟)の3階の柱が損傷しているとの情報が入った。4隅の隅柱の大破、階段室のコア壁の3階床位置における亀裂を確認し、ショックであった。
【写真2】人間・環境系研究棟の妻壁の被害状況
【写真3】東側妻壁南側の外柱の被害状況
卸町など沖積平野部での被害状況のため洪積台地にある仙台市街地を通って沖積平野に向かった。若林区の災害対策本部で建築の同僚で後輩の山田区長から被害状況を伺った。大和町の中間層崩壊建物の現場調査、周辺の高層マンションの非構造壁被害など確認し、卸町の協同組合である卸商センターに到着。防災システムの指導を行っていた経緯もあり、理事の一人に被害状況を説明していただいた。倒壊建物が2棟との説明を受け現地調査を行った。次に、宮城野区高砂の14階建てSマンションに到着、一目で、建物が傾斜していることを確認。建設現場の経験がある理事長に傾斜測定を勧めた。高砂まで行くと仙台港の近くなので、津波浸水域に入った。ビール工場から流出した缶ビールが散乱した泥まみれの道路を進みながらに三井アウトレットや夢メッセを調査した。泥にまみれた高級バックや、展示場の展示スペースにひっくり返った車があったのはショックであった。背後には仙台港周辺のオイルタンクの火災による噴煙を上げていた。帰り道、1978年の宮城県沖地震で傾斜した長町の郡山市営住宅を調査した。基礎構造の補強を行ったこの建物は大震災では被害が見られなかった。
【写真4】津波により被害を受けた三井アウトレット駐車場
【写真5】夢メッセ 津波により流された自家用車が展示場に侵入
3日目は、2008年岩手宮城内陸地震の調査建物・エリアとして大崎市を中心に調査した。災害対策本部で被害状況説明を受けた後、2008年の地震で大きな被害を受けた上野山小学校や岩出山高校に向かった。これらの建物には大震災では顕著な被害が認められなかった。大崎市市街地中心部では木造校舎の被害や倒壊建物を調査した。さらに北側の栗原市の被害の初動調査を行ったのは2週間後であった。栗原市立病院の被災状況や災害時対応状況の調査を行うとともに大きな振動被害を受けた若柳地区の被害調査を行った。ブロック塀の倒壊よりも石塀の倒壊が目に付いたが、これらによる犠牲者がなかったのは幸いであった。気になったのは、2008年の岩手宮城内陸地震の揺れと3.11大震災の地震動の空間分布の差が気になり、後日、大崎市と栗原市の教育委員会の協力により全小学校を対象にアンケートによる揺れの実態調査8)(8,556配布し、5,566回収)を行い貴重な資料を得ることができた。
2003年の宮城県北部地震の被災エリアを調査したのは、震災後の諸対応事項が重なり、3月30日になってしまった。一度、調査した建物は頭に残っているものである。補強を行った石塀などに被害がなかったことも印象に残っている。
これらの初動調査は、日本建築学会のウェブサイトで公開されるとともに、小谷先生の英訳により、世界に向けて情報発信された1)。情報発信の大切さを改めて感じた。
参考文献
- 1)
- http://www.eqclearinghouse.org/2011-03-11-sendai/files/2011/03/20110319_Quick_Survey_Motosaka-Otani_.pdf#search='Masato+Motosaka+Otani'
- 2)
- Masato Motosaka : LESSONS OF THE 2011 GREAT EAST JAPAN EARTHQUAKE FOCUSED ON CHARACTERISTICS OF GROUND MOTIONS AND BUILDING DAMAGE, Proc. International Symposium on the 2011 Great East Japan Earthquake, 2012, pp.166-185
- 3)
- 日本建築学会、2011年東北地方太平洋沖地震災害調査速報、2011年7月
- 4)
- 日本建築学会東北支部、東北地方太平洋沖地震災害調査報告、2013年4月
- 5)
- 塩原等、西山功、目黒公郎、源栄正人、巨大地震に耐震は機能したか、日本建築学会・建築雑誌、vol.127(No.1637)、10-13、2012
- 6)
- 戸田芳雄、相澤一博、佐藤浩樹、源栄正人、震災から1年―改めて災害と学校について考える―、東京書籍・教室の窓、vol.36、4-11、2012
- 7)
- 源栄正人、柴山明寛、2011年東北地方太平洋沖地震の経験を踏まえて―早期地震警報システムの現状と課題-、第30回日本自然災害学会学術講演集、2011年11月
- 8)
- 坂本拓也、磯部亮太、源栄正人、柴山明寛、宮城県大崎市と宮城県栗原市を対象としたアンケート調査に基づく東北地方太平洋沖地震と4月7日の余震(M7.2)の揺れの調査、JAEE日本地震工学会論文集、Vol.12(2012)No.5,133-142、2012年11月
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