ホーム   都市環境学で紐解く 地震と建築 / 福和 伸夫    第1回「現代社会の足下を点検」
都市環境学で紐解く地震と建築
第1回 現代社会の足下を点検 第2回 地震が歴史を動かす 第3回 地名に見る地盤の診断 第4回 建物と地盤の相性 第5回 周期と減衰が揺れを司る 第6回 伝え率先し耐震化促す
福和 伸夫

  プロフィール
(ふくわ のぶお
    / FUKUWA Nobuo)
名古屋大学大学院 環境学研究科
都市環境学専攻建築学系
環境・安全マネジメント講座 教授

福和伸夫のホームページ: http://www.sharaku.nuac.na
goya-u.ac.jp/~fukuwa/

ぶるるのページ: http://www.sharaku.nuac.na
goya-u.ac.jp/laboFT/bururu/


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第1回 現代社会の足下を点検

はじめに

今回から6回シリーズで、地震や耐震の話題についてお話をすることになりました。 どうぞよろしくお願いいたします。

初お目見えですので、少し自己紹介をさせていただきます。

私は、名古屋に生まれ、大学院修了までずっと名古屋で過ごし、大手建設会社で原子力関連の耐震研究に従事した後、名古屋大学に異動しました。

この頃までは、主として、建物と地盤との動的相互作用に関する解析的な研究に従事していました。

大学異動後の最初の6年間は建築学科に所属し、拡建築ということで、コンピュータ利用や環境振動、大型宇宙構造物などの検討をしていました。

その後、兵庫県南部地震が発生し、所属も先端技術共同研究センターに異動になったことから、防災や環境に関わる課題について産官学連携で取り組むようになりました。

さらに、21世紀に入って、東海地震問題が顕在化してきたときに、新設された環境学研究科に異動し、理学系や文系の方々と協力して安全・安心な社会を作るプロジェクトに携わるようになりました。

近年は、地震災害軽減のため、広く住民やボランティア、地域の人たちと協働して減災のための実践活動を行ったり、防災に関わる人材の育成や防災教育・啓発に携わっています。


本稿では、こういった活動の中で感じたことについて、順を追ってお話をしていきたいと思います。

第1回は「現代社会の足下を点検」、第2回以降は、「地震が歴史を動かす」、「地名に見る地盤の診断」、「建物と地盤の相性」、「周期と減衰が揺れを司る」、「伝え率先し耐震化を促す」と続ける予定です。

人口増加・都市集中・利便性追求が社会の脆さを助長

今回は第1回ですから、現代社会の災害に対する脆さについて考えてみたいと思います。

建築構造に携わる方の中には、現代社会が地震災害に脆いと実感している人は多くはないようですが、実際には、都市への人口集中によって、まちが軟弱地盤へと拡大し、建物が高層化・密集化したため、以前より災害危険度が遙かに大きくなっています。


日本の人口は、弥生時代には60万人でした。それが、江戸時代初期に1,200万人、江戸時代中期に3,000万人になり、明治維新のときに3,330万人、1923年の関東地震のときに5,800万人、現在は1億2,700万人と増えてきました。

富国強兵や高度成長のため、都市での人口集中が進み、地方での人口変化は大きくはありません。

都市では、多くの人口を収容するため、災害危険度の高い軟弱な沖積低地にまちを広げ、建物を密集化・高層化しました。


軟弱な地盤や高層階は強く揺れます。台地の上に平屋の住宅を建てていた時代と比べ、揺れの強い場所に住む人口が急増しています。

家具が増えた居室の危険度は極めて高いことが分かります。

また、家屋が密集することで延焼危険度も高くなります。

液状化した地域では車の走行が困難になり、消防車や救急車などを活用できない可能性もあるでしょう。


現代の都市は、災害に対して力で抵抗し、堤防を作ることによって、海抜ゼロメートル地帯にまでまちを広げてきました。

しかし、万一、強い揺れで堤防が下がれば、津波等による浸水危険度も増します。

また、広域・大規模災害では、建設業界の力にも限界があり、早急な復旧が困難になります。

気候変動で大規模化した台風が襲えば、水害にも見舞われます。

このように、かつてと比べ、現代都市では複合災害の危険性が増してきています。


また、都市の巨大化に伴って、高速鉄道や地下鉄、高速道路が横移動を、エレベータが縦移動を高速化し、まちの拡大と高層化を支えてきました。

しかし、このことは、帰宅困難者問題や、エレベータでの閉じこめ問題を生み出してきました。

大都市にあるエレベータの数と保守員の数を調べてみると、憂鬱になってきます。


一方、家やオフィスの中に目を転じると、家具や電化製品が溢れています。

コックをひねれば加熱や給水・給湯ができ、便所も水洗・洋式で暖房便座・洗浄機付き、電話・携帯・メールで通話・通信をし、インターネットで情報検索、という便利な時代になりました。

かつての生活では、ランプ・かまど・井戸・汲み取り便所でしたから、ライフラインの途絶の影響はほとんどありませんでした。


便利さと引き換えに社会は災害に脆くなってもいます。

大都市に林立する高層ビルは、長周期の揺れを受ければ、最上階では何mもの揺れになると思います。 停電すれば水も使えなくなり、用を足すこともできません。

日頃の便利さや眺望とは裏腹に、災害時には最も弱い場所になる可能性があります。

ライフラインの災害対策は焦眉の急

現代社会は電気がなくては成り立ちません。

我が国の発電総容量は、約2億kWです。

内訳は、水力が1,163カ所3,400万kW、火力が161カ所1億1,900万kW、原子力が15カ所4,600万kWとなっています。

送電用の電線の長さは17万km、配電用の電柱は2千万本、電線は130万kmにも上るようです。

気の遠くなる数ですが、これらが健全でなければ、電気は届きません。


水力発電所は、数も多く、日本中にほぼ均等に分散しています。

個々の発電所の平均発電量は3万kWと小さいですが、揺れにくい堅い地盤の上に立地していますし、エネルギー源は水ですから、災害後も供給され続けます。

たとえ発電所が止まってもその影響は小さく、災害に強い自律分散的なシステムだとも言えます

。 戦前戦後の時代には、水力発電所の占める割合が大きかったことが社会の冗長性を高めていたように思います。


これに対して、原子力発電所の平均発電量は310万kWもあります。

原子炉建屋などの重要建物・機器では、一般建物の3倍以上の耐震性が要求されていて、耐震性は極めて高いのですが、柏崎刈羽原子力発電所で分かったように、強い揺れを受けると安全性を確認できるまでは、原子力発電所は長期間停止することになります。


発電の6割を占めるのが火力発電所です。

火力発電所の立地場所を見てみると、その多くが、大都市に近接した埋立地にあります。

このため、強い揺れと液状化に見舞われます。

火力発電施設は、一般建物と同等の耐震性しか要求されていません。

大都市周辺の埋立地に発電所が集中立地している現況は、平時の効率は高いですが、巨大地震のことを考えると、燃料の確保、液状化地盤上の各種設備・施設の安全性、同時被災の可能性など、多くの課題があるように思います。

万一、東海・東南海・南海地震が連動して、多数の発電所が同時被災したとしたら、復旧対応に従事できる人員の不足から、早期の回復は難しいでしょう。

また、東日本は50Hz、西日本は60Hzと、東西で周波数が異なりますから、電気の融通も困難です。

現在ある周波数変換設備の総容量は100万kW程度しかありません。


一部に問題が生じると、その影響が全体に及ぶ恐れが大きくなっています。

私は、電気・ガス・上下水道・高架道路・鉄道のように、社会の生命線となる施設については、特別の安全性を付与することが必要だと感じています。

災害に弱くなっている人と地域コミュニティ

人間の力も落ちています。

都市の人工環境の中で暮らすことで、自然の怖さを感じなくなった私たちは、生きる力を減退させています。

知識は増えたかも知れませんが、心・技・体、何れの力も落ちています。

最近の子供たちは、外で友達と一緒に逞しく遊ぶ機会も減ってきました。

中には、和式便器で用を足したことの無い子供もいるようです。

これでは、避難所生活もできません。

精神的に弱くなった子供たちが、大災害で危機的状況に陥ったとき平静な気持ちで対応できるでしょうか。

関東地震や戦時中に日本人が起こした惨い行動を起こさないためには強い精神力が必要となります。


かつて、私たちは、大家族で、地域に密着した生活をしていました。

大家族であれば、平時には年寄りが若者に生き方や住まい方のしつけをし、過去からの災害伝承をしていました。

逆に、災害時には若者が年寄りを助けていました。

毎年、大掃除のときに畳上げをし、床下の点検をするような習慣もありました。

今は全てプロに頼ってしまっています。

また、日頃からの地域での助け合いの仕組みは、災害時にはとても有効に働きました。

これに比べ、現在は、災害時に援護を必要とする方々のみの世帯が増え、地域コミュニティの力も落ちています。


このように、現代社会は思いの外、災害に対して弱くなっているように思います。

便利な社会にするために、相互に依存し合っている都市では、地震での建物損壊をゼロにしなければ大変なことになります。

最低基準である建築基準法での耐震基準を守ることに汲々としていているようでは、高機能化した社会を守りきることはできないでしょう。

私たち建築構造屋には、この社会を次の世代に受け継ぐために、安全な社会を作り続ける責任があります。

気概を持って社会の安全を担う技術者として仕事をしていきたいと思います。



次回は安政江戸地震(1855年)と開国から明治維新、大正関東地震(1923年)と大正デモクラシー終焉から軍国主義台頭などの例に見る「地震が歴史を動かす」です。

ご期待ください。

2008年11月