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ホーム   2011年カンタベリー地震後のクライストチャーチ現状視察記/齊藤賢二    第3回:クライストチャーチ復興計画とカンタベリー地震の教訓
  • 第1回:2011年カンタベリー地震の被害と復興状況の概要
  • 第2回:多くの建築物の崩壊と震災記録展示館「Quake City」
  • 第3回:クライストチャーチ復興計画とカンタベリー地震の教訓
齊藤 賢二

(さいとう けんじ
/ Kenji Saito)
株式会社NTTファシリティーズ総合研究所
建築構造技術本部 本部長

 

< 略 歴 >

1980  東北大学工学部 建築学科 卒業
1982  東北大学大学院 工学研究科 終了
1982  日本電信電話公社 建築局 入社
2007  株式会社NTTファシリティーズ 建築事業本部 構造エンジニアリング部 部長
2008  博士(工学) 東北大学
2012  株式会社NTTファシリティーズ総合研究所 建築構造技術本部 副本部長
構造設計システム部 部長(兼務)を経て現在にいたる

第3回:クライストチャーチ復興計画とカンタベリー地震の教訓

カンタベリー地震から6年、なぜ進まぬ復興

クライストチャーチの中心部にある約1,600棟ある建物の多くが地震で倒壊、または倒壊のおそれがあるとして取り壊されました。今回の地震の被害額は、350億NZドル(約2.4兆円)と見込まれ、人口460万人の同国のGDPの19%に相当します。日本に例えると、大阪の中心部が壊滅的な被害を受け封鎖されたようなイメージと言えます。

市と政府からなる復興機関(CERA)は、市の中心部で復興のシンボルとなる再開発プロジェクトを進めています。CERAは、地震発生の年の6月23日には最初の復興計画を発表しています。計画は、揺れと液状化により建物やインフラの被害【写真1】が甚大で、復旧が経済的に困難と判断されたエイボン川沿いのレッドゾーン【図1】は家屋と生活の再建を放棄して、住民を他地域へ移転させるというものでした。これによりクライストチャーチ全13万戸の約6%にあたる約7,500戸が移転の対象となりました。また、対象の土地と家屋は政府が買い取る方針が示されました。

【写真1】液状化により傾いた家屋

http://www.radionz.co.nz/news/regional/262576/cera-misses-red-zone-demolition-deadline

【図1】CERAのレッドゾーン

https://www.researchgate.net/figure/267572871_fig1_Fig-1-CERA-%27-Red-Zone-%27-%27-TC3-%27-%27-TC2-%27-and-%27-TC1-%27-classi-fi-cation-on-the-23rd

地震発生の年の12月21日公表された主な事業計画は「①エイボン川の公園化」「②コンパクトで低層のCBD(City Business District)を創造」「③ライトレールの新設」「④新たな施設」「⑤大震災のメモリアル施設」です。翌年7月に公表された新復興計画案では「①復興事業期間を2016年までに短縮」「②CBD中心部をコア(core)地区とし、これをコの字形に取り囲むフレーム(frame)地区を設定」「③コア内における機能の集中と分化を明確化」「④南西端の市立病院に医療・健康施設やスポーツセンターを集中」「⑤CBD地区の高度制限は中心から外側へ31m、22m、16~17m、11mの順に緩和」に修正されました。

CBD内に新しく建設する建物には高いビルがほとんどありません。これには今回の地震により「高い場所で仕事をしたくない」という市民感覚があるようです。建物を取り壊した跡地には、広大なグリーンスペースを中心にコンベンションセンターや中央図書館、ショップ、レストランが集まり、新しいガーデン・シティが誕生する計画です。

復興計画案【図2,3】の特徴は、エイボン川とオープングリーンスペースという緑に囲まれたもしくは隣接する区域に商業、芸術、文化、スポーツ、交通の機能をコンパクトに詰め込んだところにあります。都市機能を集中させながらダウンサイジングさせています。地震前、市中心部には約6,000人が住んでいましたが、復興計画案ではそれを2万人程に増やす計画です。日本のような店舗と居住施設を併せた建物を建設していく計画です。

【図2】新復興計画案(CBD)

http://idealog.co.nz/design/2012/07/christchurch-blueprint-outlines-denser-compact-l-shaped-centre

【図3】新復興計画案鳥瞰図

http://www.boffamiskell.co.nz/project.php?v=christchurch-blueprint

復興計画では、大型の商業施設や会議場など20あまりの大型施設の建設を計画していますが、現在完成しているのは2015年5月に完成したバスターミナル【写真2】やラグビー競技場【写真3】など数箇所だけに留まっていました。大型商業施設は少しずつ再建が進んでいますが、施設のなかには着工の目途すら立っていないものもあります【写真4,5】。着工の目途が立たない理由の1つは、予定地の中に液状化など地盤の問題が生じているところもあり、建物の構造について慎重な配慮が欠かせないからと言われています。

【写真2】バスターミナル

http://www.metroinfo.co.nz/info/Pages/CentralStation.aspx

【写真3】ラグビー競技場

http://www.austadiums.com/stadiums/stadiums.php?id=366

【写真4】再建中の大型商業施設

【写真5】手付かずの公共施設建設予定地

復興が遅々として進まないことに対して、被災者からの不満の声が高まり、行政の対応の遅さを批判する抗議集会が方々で開かれてきたと聞きました。被災した住宅の多くは、6年近くたった今でも地震で出来た夥しい亀裂の数々を未だに修復できていません。さらに、地盤が数十センチ以上沈下し、傾いたままの住宅も多く存在します。住宅の修復が一向に進まないもっとも大きな原因として、頼りにしていた地震保険が今もほとんど支払われていないことが挙げられます。ニュージーランドでは、住宅を購入する際に、地震委員会(EQC)という国の機関が運用する地震保険(家財保険と住宅保険)への加入が義務付けられていて、今回の地震でも保険が被災者の復興を支えてくれるはずでした。しかし、保険金を申請したものの適応の判断がなかなか降りず、今も多くの人が保険金を受け取れない状態が続いているようです。地震委員会では、既に16万棟以上の建物の査定を実施したようですが、被災した全ての建物の申請を精査するに至っていません。査定が遅れていることに対して、目視だけでは被災の程度がわからない、慎重な検証を行う必要があるために時間がかかっていると地震委員会は説明しています。なぜ、建物が50センチ沈下しても即座に大破と査定しないのか理解し難いと言わざるを得ません。

カンタベリー地震による被害総額は、最初に触れたようにニュージーランドGDPの19%にも達したと言われています。日本のように地震が頻発するニュージーランドでは、地震保険の義務化など進んだ対策が取られていましたが、それでも行き届かなかったほど被害が大きかったと言われています。国の規模は違いますが、もし日本の大都市が巨大地震に見舞われたとしたら、保険加入率が低い日本ではもっと酷い状況になることが懸念されます。被害をいかに最小限に抑えるか、常日頃の備えがいかに大切かを突きつけられていると言えます。また、行政などの担当者が被災者にいかに寄り添えるかも大切になってくると思います。災害後、都市をどう復興させるか、これは日本にとっても大きな課題ですが、ニュージーランドの復興の中に、日本での災害復興のヒントが出てくることが期待されます。今後、ニュージーランドの復興状況から目が離せません。

カンタベリー地震の教訓

カンタベリー地震発生直後に日本で注目を集めたのは、多くの日本の若者が犠牲になったことに尽きると思います。2011年カンタベリー地震は、ニュージーランドの地震としては最大規模ではありませんが、人的被害では最悪のものとなってしまいました。とはいえ、日本と同じプレート境界にある列島としてはよくある標準的な規模の地震でした。被害が多かったのは、地震が都市直下で起きたからです。発生時刻が昼時で人口もピークとなっていて、さらに多数の耐震性が低い建物にも多くの人がいたため、これらの倒壊により建物内にいた人はもちろん、路上にいる人にも重大な被害を与えました。阪神淡路大震災は、たまたま早朝に発生し公共交通機関もまだ動き出していなかったため、人的被害が最小限に留まったのは不幸中の幸いであったと言わざるをえません。

さらに注目すべきことは、この地震が2010年9月カンタベリー地震の最大余震である可能性があることです。5ヶ月後の最大余震が最も大きな災害を引き起こしたとすれば、この地震を受けて従来の地震の危険性評価を考え直さなければいけなかったのです。ところが、1ヶ月後に東北地方太平洋沖地震が発生し、2011年2月カンタベリー地震のことは多くの日本人から忘れ去られてしまいました。また、2016年熊本地震では、余震と思われた地震が後から本震と訂正されるといった想定外?の事態も起きました。さらに、建築基準法では想定していない震度7の揺れを2度経験するというこれまた想定外?の事態も起きました。

余震は地震の規模にもよりますが、内陸直下型のM7以下であれば通常本震の後1ヶ月程度で終息し、その後は復旧活動に専念できると言われています。しかし、5ヶ月後に最大余震が来ることもあり得るとなれば、前回の地震で大きく損傷した建物は使用禁止とすべきですし、補修だけでなく多額の費用を掛けでも耐震補強を実施すべきと思います。

クライストチャーチ大地震では、日本からの留学生が多数犠牲となった建物を含め2棟の建物が完全に倒壊しました。しかし、大地震時に柱や梁は多少壊れても直ぐには崩壊しない粘りを持たせるという日本の新耐震設計法と同じ考え方で作られたほとんどの建物は倒壊を免れました。しかし、倒壊を免れた建物の多くは大規模な補修・補強を必要としたため、今までに2,000棟ほどの建物が取り壊されました。地震保険による補償額は、一般に補修・補強よりも撤去・建替の方が大きく、多額の保険金が支払われたと言われています。地震保険によりある程度の補償があるとはいえ、このような状況を多くの人々は望んでいないことはあきらかです。

免震構造や制振構造は、免震装置により大地震時の激しい地盤の揺れをかわす、あるいはダンパーにより建物の揺れを効率的に吸収し損傷を抑えて、大地震後も継続的に使い続けることが可能です。日本でも阪神淡路大震災以降、免震・制振建物が急速に普及しています。NZは、本格的免震建物発祥の地ですが、2011年カンタベリー地震が起こるまで、クライストチャーチには免震建物(病院)が1つだけでした【写真6,7】。しかし、地震後に計画された建物には、より高い安全性を目指して免震構造や制振構造が数多く採用されています。免震建物については、新築3棟、地震で不同沈下した建物の免震レトロフィットが1棟工事中との情報もあります。また地震後は、既存建物の補強としてだけでなく、新築建物でもブレースが積極的に取り入れられた設計となっています【写真8,9】。

免震構造や制振構造は、大地震時でも建物の損傷を少なくし大規模な補修を行うことなく長く使うことが可能になるので、安全性確保をもとより環境にやさしい構造物でもあります。

【写真6】Christchurch Women's Hospital

https://www.holmesgroup.com/our-projects/healthcare/christchurch-womens-hospital

【写真7】鉛入り積層ゴム支承

https://www.holmesgroup.com/our-projects/healthcare/christchurch-womens-hospital

【写真8】既存建物のブレース補強

【写真9】新築建物のブレース

最後に、地震の犠牲者のご冥福をお祈りするとともに、クライストチャーチが災害に強く住む人にとって希望に満ちた都市に生まれ変わっていくことを願います。

【写真10】筆者が宿泊したホテル。「BreakFree」には早期復興の願いが込められていると思われます。この建物は激しい揺れにも耐え地震後ホテルとしてリニューアル再利用されています。

参考文献

1)
Civil Engineering Consultant VOL.274 January 2017