ホーム   2011年カンタベリー地震後のクライストチャーチ現状視察記/齊藤賢二    第2回:多くの建築物の崩壊と震災記録展示館「Quake City」
  • 第1回:2011年カンタベリー地震の被害と復興状況の概要
  • 第2回:多くの建築物の崩壊と震災記録展示館「Quake City」
  • 第3回:クライストチャーチ復興計画とカンタベリー地震の教訓
齊藤 賢二

(さいとう けんじ
/ Kenji Saito)
株式会社NTTファシリティーズ総合研究所
建築構造技術本部 本部長

 

< 略 歴 >

1980  東北大学工学部 建築学科 卒業
1982  東北大学大学院 工学研究科 終了
1982  日本電信電話公社 建築局 入社
2007  株式会社NTTファシリティーズ 建築事業本部 構造エンジニアリング部 部長
2008  博士(工学) 東北大学
2012  株式会社NTTファシリティーズ総合研究所 建築構造技術本部 副本部長
構造設計システム部 部長(兼務)を経て現在にいたる

第2回:多くの建築物の崩壊と震災記録展示館「Quake City」

多くの犠牲者を出したビルの崩壊

カンタベリー地震が特に日本人に大きな衝撃を与えたのは、崩壊したCTVビルの下敷になり留学中の日本の若者28人の尊い命が奪われたことです。CTVビル被災の検証は、英連邦諸国のなかで重大な出来事があった際に立ち上がる王立委員会(Royal Commission)により行われました。最終報告レポートの要旨版は日本語にも翻訳され、誰でも閲覧できるようになっています。

レポートでは、CTVビルの設計が行われた1986年まで遡り、構造設計に関わった技術者が2階建て以上の建物の設計経験がなかったことや、技術者に発注していたオーナーが行政の担当者に圧力をかけ、その圧力に屈した担当者が建築基準を満たさない設計に許可を与えてしまったことなどが詳細に報告されています。その後も、1990年ビルの完成検査時にコンサル会社が構造的不適合部分を指摘していたにもかかわらず設計図は精査されることはなく、2010年の地震(M7.0)後の外観目視調査後にも安全と判定され、使用制限を設けられることはなかったと報告されています。ビルの使用開始までに幾度となく安全面を危惧する意見や建築基準不適合というコンサルの見解が下されていたにもかかわらず、結果としてビル崩壊という最悪の結果を招いてしまったということです。このレポートからは、約1年半かけて徹底的に原因究明に取組んだ熱意と、崩壊の原因を遺族や関係者にしっかりと届けたいという強い意志が感じられます。

市街地に建つ中層ビルでCTVビル同様に崩壊し、多くの犠牲者を出したのがパインゴールドビルです。このビルは、1976年に制定された新しい建築基準の以前に建てられた建物ですが、新築時以降耐震性の見直しが行われることはなく、原型をとどめないような、所謂パンケーキクラッシュと呼ばれる倒壊パターンを示しました。クライストチャーチでは中層ビルが完全に崩壊したのは、CTVビルとパインゴールドビルの2つだけです。CTVビルの跡地は、現時点では更地のままとすることが決まっています【写真1】。パインゴールドビルについては、既に新しいビルの建設工事が始まっているところでした【写真3】。向かい側にあった高級レストランRETOURも崩壊しましたが、再建時に再利用するためか特徴的なデザインの屋根のみ今も大切に保存されていました【写真4】。

【写真1】CTVビル跡地

【写真2】CTVビル跡地にある案内板

【写真3】パインゴールドビル跡地

【写真4】レストランRETOURの屋根

クライストチャーチ大聖堂

クライストチャーチ大聖堂は、英国国教会の流れる汲むもので、年間70万人を超える来場者が訪れるNZを象徴する観光名所の一つです。宗教儀礼のほか、本格的交響楽団によるコンサートをはじめ様々な催し会場としても利用され、市民に大変親しみのある大切な教会でした。今回の地震により崩壊、その後6月13日に発生した余震により正面のステンドグラスの窓や西側の壁の75%が崩壊するなどの被害を受けました【写真5】。筆者は地震以前に大聖堂を2度訪問していますが、今回大破した教会を目の当たりにし、同じ建物と思えないほど変わり果てた姿に衝撃を受けました。また、地震前には多くの観光客でとても賑わっていた教会前の広場も閑散とした状態で、なんとも寂しい気持ちに襲われました。クライストチャーチが元の活気を取り戻すためには、なによりもこの教会の再建が一番必要ではないかと感じました。

2012年2月、修復には5千万NZドル~1億NZドル(約35~70億円)の費用が必要ということと、現状地震によりいつ崩壊するかもしれない程危険な状態にあることから、修復を断念し解体されることが教会関係者より発表されました。解体にあたっては、まず数メートルの高さを残して壁を撤去し、芸術的価値の高い聖堂内の装飾などを安全な場所に移動することから始めるとのことです。

市内では多くの教会や聖堂などの修復が進められていますが、日本と同じようにこれら文化財の修復には多くの時間がかかるようです。修復現場の仮囲いを利用して、教会の歴史、補強設計概要、スポンサーなど工事に纏わる情報が丁寧に発信されていたのが印象的でした【写真7、8】。

【写真5】クライストチャーチ大聖堂

【写真6】大聖堂前にある案内板

【写真7】教会の修復現場

【写真8】教会の修復現場仮囲い

紙で出来た大聖堂(Christchurch Transitional Cathedral)

クライストチャーチのシンボルであった大聖堂を再建するまでには長い時間がかかるので、その間使う目的で建てられたのが仮設大聖堂【写真9、10】で、少なくとも10年間は使用される計画です。この建物は、日本人建築家板茂氏の設計で、防水加工された特殊な紙で作られています。2013年8月に完成して以来、クライストチャーチの新名所として大変親しまれています。

午前9時から17時までは一般にも無料開放されていて、中を見学することもできます。ただし、中でミサやイベントが行われている場合には見学できません。筆者が訪れたときにも、ちょうどイベントの最中で残念ならが内部は見学できませんでした。防水加工されているとはいえ紙で出来た教会というのは果たしてどの様な建物なのか訪問前はまったく想像できませんでした。実際見た感じは、紙で出来ていると言われなければわからない程立派で美しい建物でした。紙を通して室内に入ってくる光はとても柔らかく優しいもので、震災での悲しい出来事を癒してくれるかのようでした。夜にはライトアップされ、外からみると巨大な雪洞のようでとても美しいものでした【写真11】。この建物は、日本人独特の感性がなければ考えられない建築ではないでしょうか。

この地震の犠牲者を追悼するために作られた185人分の椅子を並べたメモリアルアート作品も紙の教会のすぐ近くに今も展示されていました【写真12】。

【写真9】外観

【写真10】正面ステンドグラス部分

【写真11】夜景

【写真12】犠牲者を偲ぶメモリアルアート

QUAKE CITY

この施設は、2011年カンタベリー地震の記憶を伝えるべく、カンタベリー博物館監修のもとオープンした施設です【写真13】。オープン当初は、5年間ほどの期限付き施設として計画されましたが5年過ぎた今でも公開されており、閉鎖の時期は明らかにされていません。前々から気になっていたので、滞在時間も限られていましたが是非とも訪問したいと考えていた場所の1つでした。この施設、「アトラクション」と謳っているのがよくわかりませんでしたが、入ってみるといろいろな展示を魅せるための工夫が数多く凝らされていて、確かにアトラクションという表現がぴったりに感じました。地震を悲劇としてだけではなく客観的に捉え、どう克服していくべきか、そして今後のクライストチャーチのあり方はどうあるべきかまでが展示されています。

周りには派手な建物があまりないので、赤と黒を基調にしたこの外観は結構目立ちます。入場料は大人$20ですが、金額が気にならないくらい濃い内容の展示でした。展示は地震に関するマオリの神話から始まるのですが、これがこちらの予想を裏切る演出で圧巻でした【写真14】。地震の恐ろしさを実感するにはとても良く考えられた演出でした(https://nzlife.net/archives/8134)。

【写真13】エントランス

【写真14】マオリ神話のアニメーション

地震で倒壊したCTVビルで犠牲になった人々の遺品も展示されていました。日本人も多く亡くなったので、日本のお菓子の箱などを見ると、さすがに胸が痛みました。地震の歴史を紐解くコーナーでは、カンタベリー地方が昔から地震の多いところで、建国以来何度も被害にあってきたことが示されていました。ちなみに、大聖堂は着工から完成までの間に3つの大きな地震に見舞われ(1881年暮れの地震、1888年9月1日北カンタベリー地震、1901年チェビオット地震)、尖塔の飾りが落下するなどの被害を受けています。

1800年代後半から2012年までに起こった地震を時系列で写真とともに紹介するコーナーもありました【写真15】。ニュージーランドでも15年周期ぐらいで大きな地震が起こっていることがわかりました。特に、1994年と1995年は続けて大きな地震が起きていたことを初めて知りました。

【写真15】ニュージーランドで発生した地震の歴史

【写真16】建物解体で活躍した重機の一部

近くには、巨大な蟹挟みのような重機の一部も展示されていました【写真16】。近くにいる人と比べてもらうとその大きさがわかると思います。この重機のお陰で、破壊された建物撤去がスムーズに進んだということをPRする目的なのでしょうか。

【写真17】日本の救援部隊に関する展示

【写真18】落下した教会の鐘

地震発生後、各国の救援部隊が駆けつけていますが、日本の救援部隊の制服が一番目立つ形で紹介されていました【写真17】。日本だけでなく、各国の救援隊がどうやってクライストチャーチ市街地で活躍したのか丁寧に紹介されていました。市街地にあった教会の300キロ以上もある鐘なども陳列されていました【写真18】。

【写真19】クライストチャーチ大聖堂の十字架

【写真20】クライストチャーチ大聖堂のステンドグラス

崩壊した大聖堂のてっぺんに建っていた十字架も痛々しい感じで展示されていました【写真19】。また、グニャグニャに折れ曲がった聖堂内のステンドグラスの一部も展示されていました【写真20】。展示物としては他に、地震があったときの写真や崩壊した建物や自動車の一部、倒れた像や液状化の様子なども多数展示されていました【写真21、22】。日本でいうところの地震博物館なのですが、日本ではよくある地学的な展示はあまりなく、町の人達の生活に主軸をおいた展示となっていました【写真23】。震災後に自転車がどう活躍したかという展示【写真24】は、日本にはあまりないので関心のある向きには良いかもしれません。確かに1995年阪神・淡路大震災でも自転車が移動手段として大活躍していたのを覚えています。

【写真21】瓦礫に押しつぶされた自動車の一部

【写真22】液状化し噴砂した地盤サンプル

【写真23】避難生活に関する展示

【写真24】震災直後活躍した自転車

被災状況を生々しく伝える展示の他に建物被害を軽減するための構造技術に関する展示もありました。大地震発生時唯一の免震構造であった産婦人科病院で使われている実物の免震積層ゴム【写真25】や、地震の揺れを建物の最下階壁下に設置した鋼材ダンパーで吸収することで構造体の損傷を小さくする新しい構造システム【写真26】などが紹介されていました。

【写真25】免震積層ゴム支承

【写真26】ダンパーを使った新しい構造システム

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