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- 第1回 : デジタルコンピュータの夜明け前から正午迄
- 第2回:ソフトウェア
- 第3回:数値解析と図化の進化
- 第4回:コンピュータの進化と構造計算プログラムの登場
- 第5回:一貫構造計算プログラムと構造設計者の職能
- 第6回:小型コンピュータとインターネットの時代
- 第7回:AIの出現と人類とコンピュータの黄昏
- 第8回:建築構造設計の未来像
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和泉 正哲
(いずみ まさのり
/ Masanori Izumi)
< 略 歴 >
1953年|東大工学部建築学科卒業、同学科修士課程進学
1958年|東京大学数物系研究科博士課程修了(工学博士)建設省建築研究所研究員
1972年|東北大学教授(工学部建築学科構造力学講座)
1994年|東北大学名誉教授 東北芸術工科大学教授
1999年|東北芸術工科大学名誉教授 清水建設顧問
2006年|清水建設技術研究所顧問
2008年|大崎研究室顧問、現在に到る。
その他:タイAIT、チリカトリカ大学、米カルポリ大Visit. Prof.、マケドニヤスコピエ大学名誉教授、上海同済大学工程力学研究所名誉所長、運輸省通訳ガイド(英語)、日本建築学会賞、同大賞、科学技術庁長官賞 受賞、論文、著書多数
第4回:コンピュータの進化と構造計算プログラムの登場
5. 再び簡単な自己紹介と建築界のコンピュータ利用
私の専門は建築構造で、今まで仕事上、官学民の3界に生き、世界各地に長期滞在した。日本の建築教育は、他国と異なり、デザインだけでなく構造も重視し、建築士の資格もその両分野での能力保有者のみに与えられる。しかし実務では分化し、デザイナーが機能と形を決めた建物を、構造上安全の様に基礎や架構を設計するのが建築構造専門家の仕事である(【図18】)。以下暫くコンピュータと建築構造に話題を移す。私は官の建設省(今の国土交通省)建築研究所に所属した時代は、建築構造界へコンピュータ導入のパイオニアでありその普及にも努めた。学の東北大教官時代から民の清水建設時代ではコンピュータを計算だけでなくAIとしても使用する事を試みたが、実らぬうちに時間が切れてしまい78歳で現役を離れ今は、国内国外の大学で時折講義をしている。
【図18】建築には色々な分野がある。建築士はデザインにも構造にも精通している。
一方、コンピュータは建築界では初め単なる計算機として建築構造に利用されたが、その性能が上がるにつれ、利用は建築全分野へと広がった。建築用のCAD(=Computer Aided Design)プログラムが整備されて広く利用される様になりCAM(=Computer Aided Manufacturing)が部材の加工に利用され、今はロボットが建築現場で活躍すると言うように、日増しに活用領域を拡張し続けている。建築の設計から施工維持管理までの資料が総合されたBIM(=Building Information Modeling)も次第に充実されつつあり、コンピュータなしでは建築が成り立たない程になった。ただ、「コンピュータを通して物を見る」傾向も表れ、実体の直視を忘れVR(=Virtual Reality)的環境になれ、「想定外!」と驚く傾向には警鐘を鳴らしたい。
6. 建築構造への応用
6.1 構造設計
建物にはその使用年間中に自重や土圧の他、強風大雪地震等の自然力や日射や気温変化に因る熱応力等様々な力を受ける。これ等に対し、建物が壊れて内部や周辺の人々が死傷する様な事はあってはならないのは勿論、建物によっては(例えば病院や精密加工工場)過度の変形や振動の発生も許されない。その様な与条件(一応十分条件に相当)を満たす構造物となる様に構造設計が行なわれる(筈である)。
6.2 法規
しかし、建物の設計時に将来加わる力を予想するのは不可能なので法律や規準等で考慮すべき力がモデル化されて決められている。日本では1950年5月に建築基準法が制定され、建築構造も、その満たすべき最低限が確保される様に、材料の重量・強度や考慮すべき力(=設計用荷重)等がかなり詳細に決められており、これが構造設計での必要条件になっている(【図19】)。その建築基準法は、災害や事故等で多数の死者が出る等、不備と思われる事がある度に法に付随する諸規準と共に改正されてきている。改正前は合法建築でも、改正後は所謂「既存不適格建築」として,違法ではないが、安全か否かは再checkしないと不明の建物となる。設計された建物が基規準を満たしているか否かには行政の審査があり、合格したものだけが建築を許可される。
【図19】建築物設計時の必要条件と十分条件
コンピュータ出現以前の構造設計は日本の場合は算盤と計算尺や時に手動や電動の計算機が使用され(第1回の【図2b,2c】参照)、簡便な解析法や図表なども多用された(【図20】)。当時基規準は可成り大まかで、例えば設計用地震力の精度は1桁であった(現在でも設計用荷重の精度は低い)。
【図20】手計算時代に多用された計算用図表例(図は鉄筋量算出表:日本建築学会)
6.3 コンピュータと建設省(現 国土交通省)建築研究所
日本はコンピュータ関連の技術と生産の欧米への遅れを取り戻すための努力を続け1952年通産省電気試験所がリレー式ETL Mark Iを完成させ、その後官民協力で実用機種の開発を行い、その普及のため政府研究機関等へ国産コンピュータを設置した。1945年の敗戦後、焦土と化した国土の建築の再建の研究部門で焼けビルの再使用から集合住宅や輸入予定原子炉の耐震化問題まで広い領域で、中心的役割を果たしたのが建設省建築研究所である。
僅かに焼け残った陸軍の施設に元軍人も含めた生き残った俊材を集めて戦後直後に創設されたこの研究所にも1960年代初期に日本電気製のトランジスタ使用の小型コンピュータが配備され、日本の建築構造界のコンピュータ利用を誘導した(【図21】)。
【図21】建設省建築研究所の1960年代初めに設置された国産のコンピュータ
(小型の科学技術用でメモリー僅か4,000語余であったが日本の建築界のコンピュータ導入を先導した)
先ずそれまで人力では不可能であった地震時等の建物の振動を逐次追跡する動的解析を通して日本の建物の高層化を可能とし、また省力化の意味で外力を受けた建物の応力解析等も実施した。動的解析では、欧米を凌ぎ、複雑な復元力特性を持つ構造体の振動や、免震効果の解析的実証を世界に先駆けて行い、世界の構造界を驚かしその進歩に貢献した。同時に、日本での普及に努め、講習会や出版物でプログラムも公開しその自由な使用を認め、各自でそれを改良する事を歓迎した。私自身が(第1回)で言及した本を書いたのもその頃である(【図22】)。
【図22】1963年に出版された拙著「建築技術者のための電子計算機の応用」
6.4 プログラム評定
他機関、例えば電電公社や民間の構造計画研究所(1961年にIBM1620-Iを導入)や、これに少し遅れて、大手建設会社や設計事務所でもコンピュータを導入し自社用あるいは商品として建物構造設計用のプログラムの開発をすすめ、行政の新築確認許可を得るための申請書にも、コンピュータ利用の物件が現れる様になった。行政官個人が使用プログラムに誤りが在るか、ないかまでをいちいちチェックするのは不可能と言う声に、当時の建設省は建築センターに1971年評定部門を設けてプログラムが妥当な物かを審査した。審査対象は大きく2種類に分けられた。即ち、プライベートユーズ(プログラムの所有機関内で使用)とパブリック-ユーズ(商品として、一般の使用を認める)の2種類である。さらに細かく分類すると、構造計算の一部分でコンピュータを利用する部分使用と全構造計算をコンピュータに任せる一貫プログラムがある。
審査員は立場上、私企業関連人とはいかず、公務員や大学関連の建築専門家でプログラムにも精通する人となるが、当時その数は限られており、その少人数の人が、自分の本職とは別に、複数の専門の建築構造家とプログラマーが練り上げた多数のプログラムを審査する作業は容易でなかった。私も一員に選ばれたが、プログラム一字一字の審査は膨大であるとともに企業秘密にも触れるので不可能であり、審査依頼者に色々な問題を解いて貰い、それが誤りでないかを確かめる方式で審査は進行した。大学入試等の単純化された問題とは異なり、回答は幾らでもある。例えば簡便な式や略算算法を使用しても、その結果が何時も構造物が基規準より安全に設計されるように出るならばそれも正解である。つまり、基規準で定めた必要条件を満たすかどうかが審査の要点になる。勿論一つの物件に対し、多くの日を使い審査が行なわれ、パブリック-ユーズで一貫プログラムとしては電電公社のBUILDが最初に審査を通過し1974年に建設省の認可を得た。幾つかのプライベイトプログラムが認定を受けた後、ある建築専門誌で認可プログラムを利用してのRC建物の試設計を行ない、その結果使用鉄筋量にかなりの違いが出た、との批判記事が掲載された。(次回に続く)